院長のひとりごと

嬉しいことに、かすかですが、脈診に欠くことのできない五感が、気の動きをとらえてくれているようです。

2019年02月19日

地元札幌と、東京本部と呼ばれている「東洋はり医学会」で学び続け、

かれこれ20数年経ちました。

20年間、東京・札幌と、所属している

はり学会へ月2度、ここ数年は講師という役名まで与えられ、

結局は月のうち

3度、出席しております。

 

いったい「学びの卒業」を、実感できる日が来るのだろうか、

常にそう思い続けてきました。

 

話は変わりますが、

 

札幌での勉強会の特徴に、「古典を読み解く」があげられます。

現代鍼灸に翻訳された教科書のほかに、

「古典」を紐解き続けています。

 

この学びは私たちの団体の中では珍しいと、最近知りました。

珍しいとの言葉には、うらやましいとのニュアンスが含まれているように思われました。

 

なぜ古典が必要かは、

一言で表しますと、翻訳では微妙な解釈が飛ばされていることが、

多くあると思われるからです。

 

古典鍼灸の実力は学び続けなければ手に入らないのではないか、

学びを重ねるごとにその思いは強くなり、

やがて、

脈診力が指先にかすかな光をともすように、

診断力に重なるようになって、

この学び方の大切さが身にしみるようになりました。

 

「陰陽そして虚実」指先の五感がかすかにそれを伝えてくれる。

 

その力は、患者さんと向かい合ったとき、初めて光を放ちます。

 

患者さんに1本のはりを、病んでいる経絡の穴に、そっと近づけ、

やがて、その箇所が、柔らかな力であふれるとき、はりを皮膚から、

あるときは手早く、あるときは静かに、陰陽虚実に合わせて、

はりを抜く、そのとき、

体内のかすかなエネルギーが経絡と呼ばれる、

川の流れにもにた道筋が、滞ることなく流れゆくのを感じるのです。

 

今、この五感が、まだかすかで、十分とはいえないまでも、

指先でとらえるようになっていることを、

実感しながら、「卒業」が近いことを思うようになっています。

 

カリキュラムでは3年で卒業と歌っているけれど、

私は20年もかけなければ、卒業できなかったらしい。

 

やっと応用の研究部に昇格のお許しが、いただけそうな気がしています。

 

誰に経絡基礎篇の卒業を許してもらえるの?と、

質問されたなら、

笑顔で、

それは自分自身なんですと答えます。

 

次は応用力篇のスタートです、やがて、

待っていてくれる、フィニッシュテープが切れる

そのときまで、再び

走り続けよう、

 

一人でにこにこしながら、

笑顔で報告させていただきました。

 

さあ本日も、😀できるよう、気血を調整いたします。

 

 

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