2015年08月28日
聴講で勉強会に数回出席していた、
学生が、
「ようするに、経絡治療って、特効穴治療とおんなじですね、
肺虚証なら、こことここの穴を使うって決まっているんですよね」
このような評価で、
一刀両断のもとに切り捨てたことを
暫く立ってから、聞かされた。
学生の分際を弁えない姿勢に、
あいた口がふさがらない憤りを感じたのだけれど、
そうか、イマジネーションに欠けているんだ、
そう思うと納得できた。
基本型がどれほどの広がりを持ち、どれほどの経絡を
縦横無尽に使いこなせるようになるのかが、
観えないのだろう。
本物の鍼灸力を求めていない姿勢の裏返しなのかとも思う。
質問会でも同様な意見が上がることがあり、
その時に「鍼灸力を求める姿勢があるや、無しやによる」
そう回答するのだけれど、
それでは、若い人には皆目通じません、周囲からおしかりを受ける。
自分を振り返ると、まさしく
同様に物事を評価していた気がする。
現在は、経絡脈診一筋を、
目的にしているが、随分あっちへ寄り道、
こちらに気が魅かれたりと、
ウロウロした覚えが十分ある。
この学生さんたちと、大したちがいはない。
どの様な鍼を刺していても、効くものは効く、漠然とした自信があったような気がする。
学生さんの言葉は「蜂の一刺し」、
また次の高みを目指し、極めて行かなければと悟った。