院長のひとりごと

冒険は危険と隣り合わせだけではなく、その壁を乗り越えることも必要かもしれません。

2017年03月16日

治療室に、

引きこもりや鬱症状の悩みを抱えた若者の姿がぽつぽつ見えるようになっております。

 

ここで20年前の息子のことを思い出します。

 

大学合格を決めた彼は、春休みを利用して、「世界旅歩き」(定かではありませんが)雑誌のレポーターとかで、

(何でも旅費、宿泊代金がただと言うことだったようです)

イタリア、クロアチア、セビリア方面に(この辺も本人は曖昧にしか答えてくれません)出かけてゆきました。

20年前のクロアチアは戦争が終わったばかりです。

旅が終わり空港まで迎えに行きましたが、見慣れた彼の姿はなく、まるで別人です。

疲れ切ったやつれた姿の息子に旅の苦しさがにじみ出ていたものを、

母の私は、無事に帰国した喜びで十分でした。

そんな浮き浮き母に向かって、

彼の第一声「お母さん何も聞くな、話したくない」

母「はーい」間抜けな声だったに違いありません。

それから一ヶ月後

彼「旅の話聞いてもいいよ」

母「はーい」

結構危険だったこと、泊まる宿も見つからず、野宿をしたこと等々、危険の壁に立ち向かった体験話をしてくれたのです。

それも、ハッピーに違いないでしょう、などと不謹慎に、上の空でしか聞いてなかった、薄ぼんやり能天気母でした。

 

危険の壁を冒険してきたものの持つ慎重さと、

臆病という心の病の深さから抜け出せない治療室での若者に、

安易なアドバイスでは、向き合えないものを実感しています。

 

ゆっくりと五臓六腑経絡のバランス調整を心して、

鍼と灸の二つの道具、そして腕を持って対応したいと考えます。

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